卒園のさみしさと、息子の成長を見送る父の記録

4月から息子が小学生になる。

この一文だけを見ると、希望に満ちた、とても明るい出来事のように見える。もちろん実際にその通りでもある。新しいランドセル、新しい教室、新しい先生、新しい友達。これから始まる6年間には、きっと彼にしか見ることのできない景色がたくさん待っている。

だけどその一方で、この春の僕の心には、まばゆい希望と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、言葉にしづらいさみしさがあった。

6年間通った保育園を卒園する。

ただそれだけのことなのに、僕にとっては思っていた以上に大きな区切りだった。

今日は、保育園卒園のさみしさと、その奥にあった感情の正体、そして4月から小学校へ進む息子に対して親としてどう向き合っていきたいかを、自分の整理も兼ねて書いておこうと思う。

同じように、入学前の子どもを持つ親御さんに少しでも届けばうれしい。

6年間通った保育園の思い出は、息子の成長そのものだった

息子が6年間通った保育園。

今こうして文字にするとたった一行だが、その中には僕ら家族にとって本当にたくさんの時間が詰まっている。

まだ小さかった頃は、抱っこひもで登園していた

今ではとても信じられないが、あの頃の息子は、当然ながら自分で歩いて保育園に行くことなんてできなかった。僕や妻の体にぴったりくっついて、眠そうな顔をしたまま園の門をくぐっていた。抱っこひもの中にいる息子の温度や重みは、今でも身体が覚えている気がする

やがて、つたない足取りで自分で歩くようになった。

まだ足元もおぼつかず、少しの段差でもよろけそうになりながら、それでも一生懸命に保育園へ向かっていた姿を思い出す。あの小さな背中は、頼りないのに、なぜか妙に誇らしかった。

お迎えのときの思い出も強い。

同級生と手をつないで歩いてくる姿が、何とも言えないほど可愛かった。子ども同士で手をつなぐ、ただそれだけのことなのに、こちらの胸が締めつけられるくらい愛おしかった。まだこの世界に慣れきっていない小さな人間たちが、それでも一緒に毎日を過ごして、少しずつ関係を築いている。その様子を見ているだけで、こちらまで救われるような気持ちになった。

幼児クラスになった頃には、自分の下駄箱に平仮名で名前が書かれているのを誇らしげに見せてくれたこともあった。

あれも忘れられない。

大人から見れば、下駄箱に名前が書いてあるだけのことだ。でも息子にとっては、それが「自分の場所」だったのだと思う。保育園の中に、自分の居場所がちゃんとある。そのことをうれしそうに伝えてくれた顔は、今でもはっきり浮かぶ。

毎日の登園・降園の時間も、僕にとってはかけがえのないものだった

自転車の後ろに乗せて走る道すがら、息子はその日の出来事や、今日保育園である予定をよく話してくれた。今日は誰と遊ぶとか、今日は何を作るとか、今日は何々先生がいるとか、本当にたわいもない話ばかりだった。でも、そのたわいなさが何より尊かった。

そしてその話を聞きながら、道端の四季の変化について一緒に話した。

梅の花が咲いたね、とか。

桜がもうすぐだね、とか。

梅の実がなっているね、とか。

畑に何かの芽が出てきたね、ブロッコリーかな、キャベツかな、とか。

ひまわりの芽が出たと思ったら、あっという間に大きくなって花が咲いたりもした。

大人になると、季節はただ過ぎていくものになりがちだ。

でも子どもと一緒にいると、季節は「一緒に見つけるもの」になる。

道端の小さな変化が、毎日の会話の種になる。そういう時間を6年間積み重ねてきたのだと思うと、保育園生活というものは、単に子どもを預かってもらう場ではなかったのだと改めて感じる。

最高学年になってからは、「ナデナデ係」の話も聞かせてくれた。

乳児クラスの小さな子たちのお世話をする係らしい。名前の可愛らしさもさることながら、息子がその役割をちゃんと担っていたことがうれしかった。かつて自分が抱っこひもで通っていたような場所で、今度は自分より小さな子たちに優しく関わる側になっている。

その事実だけで、時間の流れを突きつけられるようだった。

僕ら親よりも長い時間を過ごした保育園

息子にとっては、家の次に、いや、ある意味では家以上に生活の基盤だった場所かもしれない。

その場所を卒園するということは、やはり僕にとってもとても大きな出来事だった。

こんなにも大きく、立派になったのだと、2026年3月に思う

息子は本当に大きくなった。

立派になった。

こう書くと少しありきたりだが、保育園を卒園し、入学を前にしたこの時期、その言葉が一番しっくりくる。

あんなにも赤ちゃんだった息子が、今では自分で学童の準備をし、自分でリュックを背負い、自分の足で登園していく

その姿は当たり前のように見えて、少し前の僕にとっては想像もつかなかった未来だ。

コロナ禍だった頃のことも思い出す。

登園後、すぐに手を洗う必要があったが、息子はまだ一人でうまく洗えなかった。僕が後ろから手を重ねて、一緒に洗っていた。あの小さな手。水の感触に気を取られて、ちゃんと洗うどころではなかったあの頃の息子。

その息子が今では、僕の手を借りずに自分で準備をして、自分で生活を回していく。

成長とはすごい。

そして同時に、成長とはさみしい。

2026年の3月。

息子の成長した姿を見届け切ったような気がして、僕はうれしかった。

だがその一方で、とてつもないさみしさにも襲われた。自分でもうまく説明できない、得体のしれないさみしさだった。

でも、このブログ記事を書いている今、その正体が少し見えている。

それはきっと、「赤ちゃんだった息子が、もう本当にいなくなる」ことへのさみしさなのだと思う。

もちろん、保育園最終学年の息子はもう赤ちゃんではない。

6歳で、立派に自分の意志を持ち、友達関係もあり、考えもあり、時には反抗もする。

それでも保育園に通っている間、僕の心のどこかには「まだ小さい息子」「まだこちらの腕の中にいた息子」の面影が残っていた。

保育園という場所そのものが、僕にとってはその面影をとどめてくれる器だったのかもしれない。

まだ小学生ではない。まだ社会の本格的な入口の手前にいる。まだどこか“幼い世界”の中にいる

そこに、僕は安心していたのだと思う。

だから卒園がこんなにも寂しい。

卒園と同時に、息子の中の赤ちゃんの時代、自分が親として抱きしめていた時代が、ひとつ本当に終わる。

そう感じていたのだ。

言語化するというのは、気持ちの整理をつけるうえで本当に便利な作業だ。

卒園式の保護者代表の挨拶を考えていた時には、まだこの気持ちは輪郭がぼんやりしていた。けれど今はかなりはっきりしている。

僕は、卒園そのものだけでなく、「小さかった息子との時代が終わること」を寂しがっていたのだ

それでも、親の寂しさで子どもを引き留めてはいけない

とはいえ、いつまでも息子を子どものままにとどめておくことなどできない。

いや、もっと正確に言えば、してはいけないのだと思う。

もし僕が心のどこかで「息子にはもう少し赤ちゃんでいてほしい」「まだ小さいままでいてほしい」と強く望めば、息子はきっとその気配を敏感に察知する

子どもは親が思っている以上に敏感だ。

言葉にしなくても、空気でわかる。期待も、不安も、希望も、残念そうな顔も、案外すぐに見抜く

そしてもし親がそれを望んでいると知れば、子どもはそれに応えようとすることがある。

無意識のうちに、自分を小さく見せることすらあるのかもしれない。

アドラー心理学でも、子どもの行動は大人の期待や関わり方と無関係ではないとされる。

ここで書籍から正確な長文引用をすることは控えるが、岸見一郎氏らが説くアドラー心理学の趣旨に沿って言えば、子どもは大人の関心の向きや、家庭内で自分に求められている役割をとてもよく感じ取って行動する。詳しく知りたい方はぜひ僕の人生の教科書でもある「嫌われる勇気」を読んでいただきたい。

問題行動もまた、ただの“困った行動”ではなく、関係性の中で起きるものとして理解すべきだ、という考え方がそこにはある。

この考え方は、僕にとってとても腑に落ちる。

親が「まだ子どもでいてほしい」と望めば、子どもはその期待に合わせた振る舞いを選ぶかもしれない。

逆に親が「もうお兄ちゃんなんだから」「小学生なんだから」と焦って背中を押しすぎれば、それもまた子どもにとっては重荷になるかもしれない。

だから4月から小学生になる息子に対して、僕はできるだけ親の希望を植え付けないように心がけたいと思っている。

「こうなってほしい」を持つこと自体は親として自然だ。

でも、それを子どもの人生のレールのように敷いてしまってはいけない。

息子には息子の歩幅があり、息子なりの春がある。

僕の役目は、その歩幅を乱さないことだと思う。

急かしすぎず、引き留めすぎず、ただ隣で見守る。

言葉にすれば簡単だが、実際にはとても難しい。

それでも、親としてそこを意識し続けたい。

小学校併設の学童に通い始めた息子を見て、少し安心した

今、息子は小学校の入学式を控え、小学校併設の学童保育へ通っている。

新しい環境。新しい建物。新しい友達。

親の僕から見れば、どれも緊張しそうなものばかりだ。

しかも、通っていた保育園から息子の小学校に行く子は一人もいない

つまり、なじみの顔がない状態からのスタートになる。

このことは正直ずっと気になっていた。

保育園を卒園するだけでも大きな変化なのに、その先の小学校には知っている友達がいない。6年間通った場所を離れ、完全にゼロから人間関係をつくる。そのハードルを思うと、親として不安にならないわけがなかった

もちろん、息子はもともと社交的なほうで、比較的すぐに友達ができるタイプではある。

だから大丈夫だろうという信頼もあった。

だが、だからといって全く心配しないということにはならない。

このあたりが親として実に複雑なところだ。

信じている。

でも心配でもある。

きっと大丈夫だと思っている。

でも、もしうまくいかなかったらと想像してしまう。

子育てというのは、たぶんこの相反する感情を同時に持ち続けることなのだと思う。

そんな中で、学童に通い始めた息子は、すでに友達を何人もつくってきたようだった

帰宅してから名前を教えてくれたり、何をして遊んだかを話してくれたりする。その様子を見て、僕はかなり安心した

新しい環境の中で、自分から関係をつくり始めている。

ああ、この子はちゃんと自分の力で次の場所へ進んでいけるのだな、と感じた。

それは僕にとって、とても大きな救いだった。

同時に、少しだけ苦笑いもした。

心配していたのは、ほとんど親のほうだったのだと気づいたからだ。

息子は息子で、すでに自分の春を始めていたのである。

6年間通った保育園から、これから6年間通う小学校へ

改めて考えると、これはとても大きな節目だ。

6年間通った保育園を卒園し、これからまた6年間、小学校へ通う。

人生の前半における“6年”は本当に長い。

息子にとって保育園の6年は、ほとんど人生そのものだったはずだ。

その場所を離れて、また新しい6年が始まる。

この“次の6年”には、これまでとは違う種類の出来事がたくさん待っているだろう。

勉強が本格的に始まる。友達関係もより複雑になっていく。スポーツや習い事との出会いもあるかもしれない。得意なことが見えてきて、苦手なことに悩む日もあるだろう。誰かに傷つけられたり、自分が誰かを傷つけてしまったりする日もあるかもしれない。

親として願うのは、ただひとつだ。

どんなことがあっても、息子が自分らしくその6年を歩いていけること

そして、もし歩けなくなる日があったとしても、また立ち上がれること。

そのために僕にできることは、絶対的に息子を信じ、支えることだと思っている。

小学校生活が始まれば、親の手を離れていく部分はますます増える。

だからこそ、家は安心して戻ってこられる場所でありたい

ありがたいことに、今年はお姉ちゃんが6年生、つまり小学校の最高学年として在籍している。

このことも、僕にとっては大きな安心材料になっている。

娘の存在そのものが、息子にとって学校という場所を少しだけ近く、やわらかくしてくれるような気がしている。

もちろん、娘にも娘の学校生活があるので頼りすぎるつもりはない。

それでも、同じ校舎の中に知っている存在が一人いるというだけで、親の心はかなり救われる

僕は娘のことも信頼している。

そして同じように、息子のことも信頼している。

おわりに:さみしさは、ちゃんと愛情の裏返しだった

保育園の卒園がこんなにも寂しいなんて、少し前の僕は思っていなかった。

もちろん感動はするだろうと思っていたし、成長に胸が熱くなるだろうとも思っていた。

でも、それ以上に、自分の中にこれほど深い“喪失感のようなさみしさ”があるとは予想していなかった。

だけど今はわかる。

このさみしさは、きっと息子を愛してきた時間の長さそのものなのだ。

抱っこひもで通った朝。

つたなく歩いた登園。

同級生と手をつないで帰ってきたお迎え。

自分の名前が書かれた下駄箱を誇らしげに見せてくれた顔。

自転車の後ろで聞いた、毎日のとりとめのない話。

季節の移ろいを一緒に見つけた道。

小さな子をなでなでする係をうれしそうに話してくれたこと。

それらの時間が、本当に終わってしまうわけではない

思い出として残るし、息子の中にもきっと何かしらの形で残っていく

でも、“今まさに進行中のもの”としては、やはりここでひとつ終わるのだと思う

そしてその終わりは、次の始まりでもある。

6年間通った保育園から、これから6年間通う小学校へ。

息子はもう、次の場所へ歩き出している。

だから僕も、親としてその背中をちゃんと見送らなくてはいけない。

寂しい。

でも、それでいい。

寂しいということは、それだけ大切だったということだから

4月から始まる新しい6年が、息子にとって実り多く、あたたかなものでありますように。

そして僕自身も、親として焦りすぎず、願いを押しつけすぎず、ただ信じて支える人でありたいと思う。

保育園の卒園は、息子の節目であると同時に、親である僕にとっての節目でもあった。

この春の気持ちを、忘れないようにしておきたい