――父の今と、これからの実家との向き合い方――

はじめに|「あの日」から1年が過ぎた

父が脳梗塞を発症してから、1年が経った

あの日、母が父の異変に気づき、救急車を呼び、右手が動かなくなっていく父を見守るしかなかった時間は、今でも鮮明に思い出せる。あの時は、がんの治療に加えて脳梗塞まで重なり、正直「ここから先、父の日常はどうなってしまうのか」と大きな不安を抱えていた。

それでも、時間は少しずつ進んだ。
急性期の入院、リハビリ、脳転移へのサイバーナイフ治療抗がん剤治療の継続。父はその一つひとつを、どこか静かに、でも確かに受け止めながら進んできた。

そして今、脳梗塞から1年が経った父は、完全に元通りとは言えないまでも、自分の生活をもう一度組み立て直しながら生きている
今日は、その「今の父の姿」と、僕たち家族がこれからどう支えていくかを、改めて記録しておきたい。

第1章|がんの数値は安定し、父は少しふっくらした

まず、いちばんありがたいことから書いておきたい。

父のがんの数値は、今のところ大きな増悪なく推移している。抗がん剤治療は今も継続中で、3週間に一度、大学病院へ通い、診察と採血を受けた上で薬を処方してもらっている。治療そのものは今なお「闘病」のど真ん中にあるのだけれど、少なくとも現時点では、進行が抑えられている状態にある。

外から父を見ると、むしろ以前より少しふっくらしたようにさえ見える。
母が毎日きちんと栄養のある食事を作っていることも大きいのだろう。食べられるうちは大丈夫。母はいつもそう言う。実際、父はきちんと食事を摂れているし、表情にも落ち着きがある。

もちろん、これは「治った」という意味ではない。
医師もそういう言い方は決してしない。今は抑えられている、今は安定している、というだけのことだ。がんという病気はそういう病気だし、その慎重な言い回しの重みを、僕たち家族はこの数年で学んだ。

それでも、あの診断直後の混乱や、脳梗塞直後の不安を思えば、こうして父が自宅で食事をし、新聞を読み、買い物に母と出られていること自体が十分にありがたい
当たり前の日常というのは、失いかけて初めて、その価値がわかる。

第2章|右足の内出血の後遺症が、静かに日常を変えている

一方で、2025年末に起きた脚部の内出血の影響は、いまもはっきりと残っている。

あの時、父は右足の痛みを訴えた。最初は筋肉痛か、ストレッチでどこかを傷めたのだろうと思っていた。けれど実際には、血栓予防のために使っていた抗凝固薬の影響で、右足の内部で内出血が起きていた。血液は止まりにくく、右足はぱんぱんに腫れ、内部にたまった血液はゼリー状の血腫となった。すぐに入院となり、自然吸収を待つしかないという説明を受けた。

今はその急性期を過ぎたが、右足の動きには後遺症のような違和感が残っている。
父は歩ける。杖がなければ一歩も進めない、というほどではない。けれど、以前のような「普通の歩き方」ではなくなった。少し歩くと疲れが出るし、足が上がりにくいため、つまづきやすい。家の中のわずかな段差や、敷物の端のようなものでも、ひやっとする場面がある。

脳梗塞によって右手が動かない状態が続いていることもあり、父の身体は全体として「片側が不自由」な状態に近い。会話や意識はしっかりしている理解力にも問題はないし、以前と変わらないテンポで話ができる。だからこそ、身体だけが思うように動かないもどかしさは、本人にしかわからないものがあるだろう

父は弱音を多く吐く人ではない。
けれど、歩いていて少しつまづいた時の、ほんのわずかな顔の曇りを見ると、「不便さを受け入れながら生きる」というのは、想像以上に大変なことなのだと思う。

第3章|会話と意識ははっきりしている、そのことのありがたさ

身体に不自由さが残る一方で、救われていることもある。

それは、父の会話や意識の状態が、今もしっかりしているということだ。

脳梗塞や脳転移という言葉を聞いたとき、僕は正直、言葉や記憶、人格にまで影響が出るのではないかと恐れていた。失語や認知の低下が起これば、家族としての接し方も大きく変わってしまう。そうした不安は、あの頃たしかにあった。

けれど、今の父は、話の筋も通っているし、ニュースを見て意見も言う。
病気になる前と同じように、というと言い過ぎかもしれないが、それでも「父らしさ」はきちんと残っている

このことが、僕にとってはとても大きい。

身体の衰えや不自由さは、目に見える。
それはそれで大変な現実だ。
でも、父が父として、父の言葉で、父のまま話してくれるということは、家族にとって大きな支えだと思う。

最近、実家に顔を出すと、父は少し饒舌になる
昔より明るくなったようにも見える
言葉にしないものを多く抱えているのだろうが、それでも話せるうちは、やはり会いに行きたいと思う
会話ができるというのは、それだけで、ものすごく大きな希望だ。

第4章|介護用品を本気で検討する段階に入った

ここ1年で、父の生活は「気をつければ大丈夫」から、「道具の力を借りた方が安全」に変わってきた

これまでは気合いや工夫でカバーできていたことも、疲れが出やすくなった今は限界が見えている。そこで僕たち家族も、いよいよ本格的に介護用品の導入を考えるようになった

今、候補として検討しているのが、Panasonicのスムーディのような据え置き型の手すりだ。パナソニックの案内でも、据え置き型の手すりや歩行補助手すりは、一般に介護保険を使った福祉用具貸与(レンタル)の対象品として扱われると案内されている。利用にあたっては、担当ケアマネジャーと福祉用具貸与事業者が関わる流れになる。  

実際、在宅介護における手すりや歩行補助は、単なる「便利グッズ」ではなく、転倒予防そのものだ。
とくに父のように、

  • 右手が使えない
  • 右足が上がりにくい
  • 疲労が出るとつまづきやすい
    という条件が重なると、家の中の数メートルであっても、安全対策は優先度が高い。

介護保険を使う場合の実務で知っておきたいこと

ここは、同じように親の介護が始まりつつある人に届いてほしい部分なので、少し実務寄りに書いておく。

厚生労働省の案内では、福祉用具貸与を利用したい場合は、まず担当ケアマネジャーと福祉用具貸与事業者に相談して用具を決める流れになっている手すりの設置など住宅改修を伴う場合も、介護給付の対象になり得る。  

また、住宅改修としての手すり設置については、原則として事前に申請が必要で、支給限度基準額は20万円、通常はその9割相当が給付対象となる仕組みだ。工事後ではなく、先に相談・申請の流れを踏むのが重要である。  

つまり、実際にやることはかなりシンプルで、

  1. まずケアマネジャーに相談する
  2. 福祉用具業者や住宅改修業者に現地を見てもらう
  3. レンタルで済むのか、住宅改修が必要かを切り分ける
  4. 工事系は申請を先に行う
    この順番を守ることが大切だ。

介護が必要になり始めた家庭は、どうしても「とにかく急いで何とかしたい」となりがちだ。
でも、制度が使えるなら、遠慮なく使った方がいい。
家族の頑張りだけで何とかしようとすると、必ずどこかで無理が出る。

第5章|自分でできることは、自分でもやる──実家にDIYで手すりをつけた

一方で、制度を待っていられない場面もある。

父の動きを見ていると、「ここに掴まるものがあれば」という場所がいくつかあった。
そこで僕は、実家の壁の一部にDIYで手すりを設置した

ホームセンターでアイリスオーヤマのインパクトドライバーを購入し、下地センサーで壁の中の木軸を探し、その下地に向かってビスをしっかり打ち込む。石膏ボードだけに固定しても、身体を預けた時に抜けてしまう危険があるので、ここはかなり慎重にやった。

自分でやってみると、思っていた以上に重要なのは「どこに付けるか」だった
ただ付ければいいわけではない。父の動線、利き手、立ち上がりの方向、足運びの癖。それらを見ながら、「ここなら自然に手が伸びる」という位置を探す必要がある。

もちろん、DIYには限界がある。
安全性が最優先なので、専門業者に任せるべき場所は任せる。
けれど、「今すぐ危ない場所」に自分で最低限の対策を打つことには、意味があると思っている。

第6章|これからも、こまめに実家へ顔を出したい

こうして振り返ると、父の闘病は1年前より確実に“生活”に近づいてきたように思う。
治療だけではない。歩き方、住まい方、食事、会話、休み方。そうした一つひとつの積み重ねが、今の父の日常を作っている。

だからこそ、僕自身もこれから先、こまめに実家へ顔を出したいと思っている。

父と会話をする。
何気ない話をする。
仕事の話をする。
子どもたちの話をする。
そして、父の表情や歩き方や声の調子を、自分の目で確かめる。

これまでの会話の中でも何度も感じてきたが、僕が顔を出すと、父は目に見えて元気になる
もともと寡黙な人なのに、少し饒舌になる。
それを見ると、やはり会いに行くこと自体に意味があるのだと思う。

病気は、家族の時間の価値を変える。
会えるうちに会う。
話せるうちに話す。
笑えるうちに笑う。

脳梗塞から1年。
父はまだ病気と闘っている。
でも同時に、しっかりと生活している。
その事実を、僕はとても尊く感じている。

これからも、父と過ごす時間を大事にしたい。
そして、少しでも安全に、少しでも穏やかに、父が実家での生活を続けられるように、できることを一つずつ積み上げていこうと思う。