脳内出血により免疫療法が中断に
2025年4月、父が脳梗塞を発症してから約2ヶ月が経過した。病院での急性期リハビリを続けながら、次の治療方針を検討する段階に入っていた。
これまで使用していた免疫療法(ニボルマブ+イピリムマブ)は、当初は大きな効果が期待されていたものの、実際にはあまり奏功しなかった。免疫療法による治療への課程は本記事に詳述してあるのでぜひ読んでいただきたい。
さらに脳内出血が見つかったこともあり、続行にはリスクが高いという判断が下された。
主治医から「次は抗がん剤治療へ切り替える必要があります」と伝えられたとき、ある程度の予感はしていたとはいえ、改めて病状の重さと向き合うことになり、胸の奥がざわついた。
3rdライン治療へ切り替え、カルボプラチン+ペメトレキセドを使用
新たに提案されたのは、カルボプラチン+ペメトレキセドという2種類の抗がん剤による、いわゆる「3rdライン」治療だった。
これはすでに複数の治療歴がある患者に対して行う次の段階の治療で、標準的な化学療法の一つとのこと。
この治療は通院しながら進められるもので、3〜4週間に1回の頻度で投与し、まずは3〜4回繰り返して経過を見る。
その後、効果が認められれば「維持療法」へと移行する可能性があるという。
※維持療法とは、初期の治療でがんの増殖を抑えたあと、その状態をできる限り長く保つために行う治療であり、副作用の少ない薬に切り替えて投与を続けることで、がんの再増悪を防ぐことを目的としている。
治療効果が出た場合でも、無増悪生存期間(PFS:Progression-Free Survival)は平均して4〜5ヶ月程度とのことだった。この「無増悪生存期間」とは、がんが進行(増悪)せずに、今の状態を保てている期間のことを指す。
つまり、がんが完全に消えたわけではなく、新たな腫瘍の出現や既存腫瘍の拡大が見られない状態のこと。
医師は「治った」ではなく「抑え込めている」という表現を使っていた。見た目には元気そうに見えても、内部では少しずつ変化が進んでいる可能性がある。その変化をどう抑え、どう付き合っていくかが、これからの治療の鍵となる。
改めて、がんと共に生きていくという現実の厳しさと、限りある時間の重みを感じた。
家族の願いと想い
とはいえ、僕の中ではすでに強く願っていることがある。
どうか、2026年の春に小学生になる息子の入学式の姿を、父に見届けてほしい。
そしてその翌年、2027年度には娘が中学生になる。
制服に袖を通し、少し背伸びしたような顔で登校していく姿を、父と並んで見守りたいと思っている。
僕自身、高校に上がる前に祖父母を亡くし、新しい制服を見せに行くことが叶わなかった経験がある。だからこそ、子どもたちの節目の姿を、彼らの大好きなおじいちゃんにしっかりと見てもらいたいという思いがある。
娘も息子も幼いころから父にとてもなついていて、「おじいちゃまに見せる!」といって描いた絵や折り紙を持って実家に行くのが常だった。
息子は実家の庭で虫探しや水やりを一緒にするのが好きで、家の中でもよく父にくっついて離れなかった。
がん治療は、医師と薬だけで完結するものではない。
本人の決断はもちろん、家族の願いや祈り、そして交わされないけれど確かに存在する想いが、日々の選択を支えている。
父が今、迷いなくこの治療を選び、次のステップへ進もうとしているその先に、どうか子や孫と過ごせる穏やかな時間が待っていてほしい。それだけで、僕たち家族の心は救われるのだと思う。
カルボプラチン+ペメトレキセドの副作用とその対策
この抗がん剤治療には、いくつかの副作用も伴う。
治療開始から数日間は、吐き気・食欲不振・倦怠感・便秘・下痢などの消化器症状が出やすく、特に最初の1週間は体力の消耗が激しくなる人が多いとのことだった。
また、10日目前後からは白血球や赤血球、血小板の減少による骨髄抑制が起こりやすく、感染症リスクや貧血、出血傾向にも注意が必要とされた。
さらに、まれではあるが腎機能の低下や皮膚トラブル、手足のしびれ(末梢神経障害)といった副作用も報告されており、定期的な採血や診察でのチェックが欠かせない。
副作用対策における家庭での工夫
家庭で副作用と向き合うために、僕たち家族が意識しているのは、「無理をさせない」「兆しに早く気づく」「できる範囲で心地よい環境を保つ」こと。
食欲がないときには、香りが立つ食事や、口当たりのよいスープ、ゼリー、温かい茶碗蒸しなどを工夫して出している。
消化器の症状が出たときは、すぐに食事の内容を変えたり、常備薬を確認したりと、柔軟に対応している。特に脱水は体調の悪化を招きやすいため、麦茶や常温の水、飲みやすい無糖飲料などを用意し、「こまめに、少しずつ」水分をとってもらうようにしている。
介護する側が気をつけたいポイント
4月初旬に発症した脳梗塞の後遺症は現在も継続中で、変わらずにリハビリを進めている。
現在は同居する母が主に父の介護をしているが、介護する側としては、「ひとりで抱えすぎないこと」と「できることは見守ること」がとても大切だと感じている。
父が“できること”まで手を出さず、少し時間がかかっても本人のペースでやってもらうように心がけている。
また、気持ちの部分でも「作業にならないケア」を意識していて、何気ない日常の会話、たわいない話をする時間を忘れないようにしている。
現在は介護保険の申請を進めつつ、ケアマネジャーの配置、訪問リハビリ、福祉用具レンタルなどを母と連携して調整中だ。
脳への転移とサイバーナイフ治療の提案
抗がん剤治療の準備が進む一方で、新たな問題も判明した。脳への転移である。脳転移判明の経緯についてはこちらの記事に詳しい。
MRI検査の結果、父の脳内には5箇所を超える病変が見つかっていた。多発性の転移であることから、治療方針として「定位放射線治療(サイバーナイフ)」が提案された。
現在の病院では実施できないため、専門病院へ紹介。最新鋭の機器と洗練された設備を持つ放射線治療センターに転院し、1日2箇所ずつ、数日に分けて照射するスケジュールとなった。
担当するのは、日本でも指折りのサイバーナイフ専門医。家族としては、それだけでも安心材料となった。
次回の記事では「定位放射線治療(サイバーナイフ)」治療について書いていこうと思っている。