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父の病と僕の死生観|今を強烈に生きるということ

家系が突きつけた「短命」という現実

父が肺がんステージ4と診断され、さらに脳への転移、脳梗塞と、次々に病と向き合う姿を目の当たりにして、僕の中でこれまでどこか遠い存在だった「死」というものが、急に輪郭を持って目の前に現れた

これまで「死」は、ニュースやドラマ、あるいは遠い親戚の誰かに起きる他人事で、自分にはまだまだ先の話だと思っていた。けれど、父の姿はそれを一変させた。

事実、40歳を目前にし、身体のあちこちに少しずつ違和感を覚えることが増えている。腰の痛み、眼精疲労、肩こり。どれも些細なことだし、生活に支障があるわけではない。それでも「何かのサインかもしれない」と、ふとした瞬間に考えるようになった。

これまでなら、放っておけばそのうち治ると笑い飛ばしていたことも、今は違う。父が「健康診断を怠っていたこと」を悔やんでいる姿を見て、深く反省したからだ。自分もまた、その油断の延長線上にいるのかもしれないと考えずにはいられない。

調べれば、腰痛や眼精疲労の裏に、大きな病気が隠れていることだってある。軽視せず、今だからこそ、自分の体に正直でいようと思っている

父方の祖父母はみな60代、70代そこそこで亡くなっている

父も現在65歳、その年齢に近づきつつある。健康が当たり前だと信じて疑わなかった自分にとって、それは受け入れがたい事実であり、ずっと目を背けてきた現実でもあった

でも、父の闘病を通してはっきりわかった。この家系では「健康でいられる時間」は、決して無限ではないということ。だからこそ、今をどう生きるか、これからをどう向き合っていくか。その意識を持ち続けていたいと思うようになった。

父の治療を見つめることは、いつの間にか自分自身の未来とも向き合うことになっていた。

健康が当たり前だと思っていた自分にとって、それはある意味、目を背けてきた事実だった。子どもの頃は「親はいつまでも元気でいる」と信じて疑わなかったけれど、その考えがいかに根拠のない幻想だったかを思い知らされた。

この事実を突きつけられ、自分もまた「健康」に意識を向けなければならないと痛感した。

単に長生きしたいわけじゃない。自分の子どもの未来を、自分の目で、しっかりと見届けたい。そのために、体を整え、心を整え、生活を見直す必要があると、これまで以上に強く思うようになった。

「必ず成長を見届ける」という決意

僕には、まだ小学5年生の娘と6歳の息子がいる。彼らの成長を、これからも見続けていきたい。小学校、中学校、高校、大学、社会人。そして結婚

それぞれの節目に立ち会い、悩みや葛藤の傍らにそっと寄り添っていたい。父の病気は、そんな願いをより強くした。

自分が元気でいるということは、子どもたちにとって安心そのものであり、何よりの土台であるということを、改めて痛感している。子どもたちは、当たり前のように「パパは元気」と思っている。けれど、その当たり前は、決して永遠ではない。

改めて思う。子どもの成長は、奇跡の積み重ねだ。妻との間に子どもたちが産まれ、歩けるようになり、パパ・ママと呼べるようになり、字が書けるようになり、友達ができ、少しずつ世界が広がっていく。その一つ一つが、かけがえのない瞬間だ。僕はそれを、一瞬も見逃したくない。

父の闘病を通じて、子どもたちが生きるこれからの未来を、僕も全力で生きていく。その覚悟が、より強く心に根付いている。

「死はすぐそばにある」という再認識

父の病気が教えてくれたこと。それは、死は決して遠い未来のものではなく、すぐそばにあるという事実だ。

父は自らの健康診断での再検査を怠り、身体の不調を軽視していた結果、突然「ステージ4」という言葉が突きつけられる。そんな現実が、目の前にあった。

メメント・モリ。「死を想え」。この言葉が、かつてないほどリアルに響くようになった。
ヴァガヴァット・ギーターにもこうある。「人は死を恐れるが、死はただ、今世を終えるだけ。次に続く道にすぎない。

哲学も、宗教も、文学も、古来より「死」をどう受け止めるかを問い続けてきた。それでも結局、たどり着くのは「今をどう生きるか」なのだと思う。

未来を恐れる必要はない。けれど、今を粗末に生きてはいけない。父の闘病と、そこに寄り添う母の姿を見ながら、それを何度も心に刻んだ。

アドラー心理学に学ぶ、「今を強烈に生きる」

僕がここ数年意識しているのは、アドラー心理学の考え方だ。

アドラーは言う。「人生は今この瞬間から変えられる。
「過去の経験も未来の不安も、人は今この瞬間にどう生きるかによってしか決まらない。」

父が病と向き合い、母が介護に尽力し、僕自身がこうして文章を書いている今この瞬間も、すべては「今」でしかない。未来を憂いすぎても意味はないし、過去に囚われても前には進めない。
目の前にある「今」に、いかに全力を尽くせるか。それが生きるということだと、父の闘病は教えてくれた。

父は、淡々と、誠実に日々を生きている。その姿が何よりも雄弁に「今を生きろ」と僕に伝えてくる。

スティーブ・ジョブズと「点と点」の話

僕が好きな言葉に、スティーブ・ジョブズの「点と点を繋ぐ」という話がある。

未来を見据えて点を結ぶことはできない。できるのは、後から振り返ったときに、その点がつながっていたと信じることだ。

今は意味がないように思える出来事も、きっと未来に繋がる。
父が病と向き合っていること、僕がそれを見つめ、考え、こうして文字にしていること。子どもたちがそれをどこかで感じ取っていること。

すべてが未来に繋がっていく点になる。

未来の自分が今を振り返ったとき、「あの時の父の姿が、僕の人生を形作った」と思えるように、今を大切に積み重ねていこうと強く思う。

まとめ|僕は今、こう考えている

父の病をきっかけに、僕の死生観は大きく変わった。

未来を恐れるより、今を生きる。
健康であることに感謝し、家族と過ごす時間を何よりも大切にする。
子どもの成長を見届ける。そのために、今、自分を整え、行動を変えていく。

死は遠い未来ではなく、すぐそばにある現実。だからこそ、今日という日を誠実に生きる。

父が闘病を通じて教えてくれたことは、あまりに大きく、深い。
その教えを胸に、これからも僕は、自分の人生を、自分の家族を、そして今を、大切に生きていきたいと思っている。

父の病気判明から今までの経緯はこちら

早起きして朝時間
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