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父が肺がんステージ4と診断された話

肺がん完治

前日譚

2023年4月初旬、僕は妹の結婚式へと出席した。六本木にあるリッツカールトンTOKYOに約100名が集う盛大な式だった。挙式・披露宴の前に親族紹介までの間、妹の花嫁姿を待ちながら親族控室で93歳の祖母を交え家族と談笑をしていた。


父は昔から多くを語らず、口数少なく厳格な人間であったが、長年一緒に暮らした娘が家を出て暮らして行く事に安心とさみしさが入り混じったような表情で笑みを浮かべていた。


披露宴では妹の幼いころのスライドショーが流れ、若かりし頃の両親と僕がそこに映っていた。披露宴の締めには両親への感謝の言葉と共に、新郎・新婦が産まれたときの重さで設えた人形と花束を手渡した。両親と娘の目には涙が浮かんでいた。

母からの伝達

父は、大学卒業後新卒で入社し40年以上勤めあげた会社もまもなく定年退職を迎える。そんな定年間近の父は週に1度会社に行くだけで、特定の曜日以外は在宅という形で仕事を行っている日々だった。

妹の結婚式の気持ちも冷めやらぬ中、2023年4月中旬、結婚式の際に撮影した妹の晴れ姿の写真や僕の子供たちの正装をしたかわいらしい写真などを見せに自宅からほど近い実家へ顔を見せがてら立ち寄った。


そこに父の姿はなく、僕は父が出勤をしているものと思い、母とiPadで写真を眺めながら妹の結婚式の思い出話をしていた。

ふと、僕が父の所在を会社かどうか尋ねると、普段は気丈な母が突然涙を流し「お父さん今入院しているの」と答えた。自分に厳しく行き過ぎるほどの健康志向の強い父が入院するとはにわかに信じることが出来ない僕は、続けてどこが悪いのかを尋ねた。


すると母は涙ながらに

がんだって。肺がんのステージ4。ずっと咳が止まらなくて息が出来ないほどの咳でやっと病院に行ったらそのまま緊急入院。

馬鹿だよね。去年の健康診断で≪肺に異常有≫で赤い字で至急の再検査を強く勧められていたのに自分で勝手に大丈夫って決めつけて再検査行かなかったんだよ。

と話し始めた。

母は妹の結婚式のときにはすでに父の肺がん罹患を知っていたとの事であった。


たしかに今、結婚式当時の写真を見返すと笑顔ではあるものの、確かに心からは笑えていない印象がある。妹にはまだその旨伝えていないとの事で、僕は母のタイミングに任せ妹に伝えてもらうこととした。

海外出張

僕は仕事柄、定期的に海外出張に行っているのだが、ちょうど渡航中のシンガポールのチャンギ空港の乗り継ぎ時間に母から「妹の新居へ行き父が肺がんのステージ4であることを伝えた」旨、連絡を受けた。


その連絡を受けた直後に妹に連絡をすると、察した通り妹はひどく狼狽していた。

僕も妹も動揺しているものの40年近く連れ添ったパートナーが肺がんのステージ4であると知った母の心境を思うと、計り知れない悲しみと不安と後悔であろう。

狼狽する妹を諭し、我々兄妹が母を支えてあげないといけないということで合意し、父の入院中は交互に実家へ母の様子を見に訪れた。


いつもは父の文句ばかりを口にしていた母であるが、父が入院で不在となると途端に意気消沈してしまい家でひとり涙をつつと流しており、すっかり憔悴してしまっていた。そんな母を兄妹で連携しながら母を支えていった。

がんの告知

緊急入院から10日ほど経過し、父の一時退院が認められた。

一時退院して数日間を家で過ごすこととなった父は肺がんのステージ4にある人間とは思えないほど普段と変わらずに過ごしており、心配していたこちらとしては拍子抜けするほどであった。


緊急入院では、VIPとも取れるような待遇で綿密な検査を実施し、文字通り隅から隅まで検査をしたという。翌週に緊急入院時の検査結果がわかるとのことで、父を含め母、僕、義弟の4名で検査結果の告知を聞きに行くこととなった。


告知の場所は都内総合病院の9階。高台に立地する総合病院9階の待合室には大きな窓があり富士山を含め地域が一望できる非常に優れた眺望である。


しかし話を伺う先生の前の予定が押しているらしく時間になっても案内が来ない。看護師の方がお詫びともう少しの待機を促してきた。もともと口数の少ない父に、極度の緊張で強張っている母、気を遣う義弟。これからの告知も相まって新緑の爽やかな空気とは裏腹に非常に空気が重たい


予定の時刻を少し過ぎ、告知場所である個室に案内された。個室とは言うが非常に簡素な造りでサーバールームとの見間違えるような中型のコンピュータサーバー(のようなもの)とパイプ椅子が6脚、長机2脚と告知に使うであろうPCモニターが2機あるのみの無機質な部屋であった。


早速医師が口火を切り現在の病状の説明を淡々と始めた。


父は肺がんのステージ4b左肺にある原発(一番最初のがん)は肥大しており、肺全体に小さながんが転移している。更に全身の骨にもがんは転移しており手術での治療は不可能である旨、告知を受けた。父の左肺は既に既存の大きさの1/3程度となっており息をすることも難しいはずとのことであった。

※なお、ステージ4bとは、原発から離れている臓器やリンパ節、その他臓器や骨に転移している状態を示している。

肺はおろか、リンパ・骨まで全身転移しているとの話を聞き、告知を受けた僕の頭は真っ白になった。(もちろん母も同様であろう)余命いくばくかもしれない父との残りの時間をなどのように過ごすか、残された時間で何をするか、そんなことが頭をよぎった。

一方で、当の本人はそんな肺の状態でも息苦しさを感じておらず、そんな馬鹿な、と医師を驚かせていた。幸か不幸か健康オタクで日々のトレーニングの賜物なのだろう。


またがん細胞というものは血栓を発生させやすくするようで、微小な血栓が血液中に多数見られることも分かった。これが脳の血管にでも詰まっていたら、父は今ここにはいなかったであろう

さらに腰の部分にも血栓があることが判明し、これは拳ほどの大きさもあり激しい運動などで血栓が砕けて移動しようものならこれもまたすぐに血管を詰まらせる非常に危険なものだという。


病状の検査と並行して、遺伝子検査も並行して実施しており、父のがんに対しては遺伝子治療薬と言われる「分子標的薬」が適合することが判明した。これは特定の遺伝子を持つがん細胞のみを標的とし攻撃する非常に精度の高い薬で、従来の抗がん剤と比較して副作用の少ない比較的新しい治療薬である。(もちろん副作用は人によるが少なからずあり、父においても処方前に可能性の話として副作用の話を聞いていた。)


また分子標的薬は非常に有効な快復効果が見込めるが、がん細胞が治療薬に対し耐性を獲得してしまうと薬が効きづらくなるとの話もあり、人によって持続期間は異なるものの一般的には数カ月~数年の範囲で効果があるとの担当医からの言葉であった。


なお、従来の抗がん剤は、急速に増殖するがん細胞を殺すことを目的としており、細胞分裂を阻害することでがん細胞の増殖を抑えている。一方で抗がん剤は、がん細胞だけでなく、正常な細胞にも影響を与える可能性があり、骨髄細胞、消化管の上皮細胞、毛根細胞など、増殖の早い正常細胞もダメージを受けるため、副作用が多く見られる。これが一般的に言われている脱毛や吐き気、白血球減少などである。


家族一同はがんを罹患した際は、「築地のがんセンターや他の総合病院などへ赴きセカンドオピニオンを確認する」などの意識もあったが、分子標的薬は遺伝子に合致する治療薬であるため、基本的にどこの医療機関でも同じ回答となるらしく本治療薬での治療を進めることで一致した。(セカンドオピニオンは、分子標的薬や効果的な治療が見込めずに高度医療などで複数の治療法から選択するときに活用するもので幸い父には適合する治療薬があったため不要となった。)


かくしてがんの治療と同時に血栓の治療を進める父の治療生活が始まった。

治療生活

父の治療生活は特段変わったことはなく(そのためあえて“闘病”とはしていない)、処方された薬を決まった時間に服用する、と単純なものである。

しかし困るのは薬の管理である。処方された薬は冷蔵保存する必要があり常温での保管・持ち歩きが出来ないのである。

治療中だからと言って特段行動制限されることなく過ごしている父だが、困るのは旅行の時だ。旅行先に到着したらホテルや旅館に冷蔵庫はあるので問題なく保管は出来るものの、移動時間中は保冷剤を保冷バッグに忍ばせ持ち運ぶこととなる。


また服用タイミングも非常に重要との事で、食前2時間以内、食後1時間以内と時間が決まっており、父は最大効果を期待しきっかりと守って服用している。


治療生活の中でとりわけ集中して行っていることが食事制限だ。
もともと、健康オタクで健康食品や有酸素運動、筋力トレーニングなど精力的に行ってきた父ではあるが、自身が肺がんを患ったことを契機に関係書籍を読み漁り、食生活に取り入れることが出来るものはすべて取り入れて行った


平たく言うとがん細胞は塩分・糖分を好み酸性に傾いている身体を蝕む、ということで塩分を取らず、糖分を控え、体内をアルカリ性にする、ということを目指した食事療法である。
以下に、取り入れた食事療法を列挙する。

  1. 塩分抜き生活・・・

    父は徹底して食事から塩分を摂取しないよう努めた。通常和食は伝統的に塩分が多く、日本人の1日の食塩摂取量約10gとされる中、父は1日あたりの摂取量を1g前後に抑えた食生活を送っていた。

    我が家ではイベントごとに両親・妹夫婦を自宅に招きホームパーティーを開催するのだが、塩を使わない料理は非常に味気なく料理として形を成すこと自体が難しい。以前も父の誕生会を行った際に塩抜きカレーをスパイスから作ってみたのだが、それらしい味にはなるものの何となく味気ない。端的に言うとマズい。(味気ないって言葉は本当にこういう状況から生まれた言葉なのだなと感じた次第だ。)

    ※厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2020年度版)」によると、1日の塩分摂取量は男性で7.5g、女性で6.5g未満が推奨となっており、さらに高血圧や慢性腎臓病(CKD)の重症化を予防するためには、男女共に1日6g未満に設定されている。WHO(世界保健機関)では1日5g未満とされている。そんな中、わずか1g前後に抑えている父のストイックさに感心する。
  2. 糖分抜き生活・・・

    塩分と同様に甘いものと摂取しない等、かつてないほどに厳しく自身を律していた。父は甘い食べ物が大好物で何かにつけコンビニスイーツの新商品を購入してきたり、有名パティシエのスイーツをお取り寄せしたり、ブラックコーヒーと共に毎日のように嗜んでいた。僕自身も甘いものが大好きでよく食べていたのだが、今回の件でなるべく控えるように心がけている。。。
  3. コーヒー無し生活・・・

    体温の低下に伴い、比例するように免疫力の低下に直結する。そのため体温低下の一因となるカフェインを含有するコーヒーも摂取しないようにしている。コーヒーに含有されるカフェインは利尿作用と共に水分を体外に排出し、身体の熱を奪ってしまう。また、排出時に水分が放出されることによって血管が収縮し、体温の低下へ繋がる。またカフェインを過剰摂取すると、血管が拡張し深部体温の放熱が進み、体温が下がってしまうため、大好きだったコーヒーも飲まないよう努めている。
  4. コールドプレスジュースの摂取・・・

    体内をアルカリ性に保つためには、アルカリ性食品を摂取するほか、酸性の食品を控える事が挙げられる。父はコールドプレスジュース(よく表参道とかで一杯1000円とかで売っているのは見たことあったが)を毎日飲むようにしている。加熱処理をしないジューサーで抽出した果汁には、野菜や果物の栄養素を破壊しにくいため、生きた栄養素を摂取できるというメリットがあり、毎日1杯の100%野菜(果物)ジュースを飲用している。使用している食材は、ほうれん草、ケール、デーツ、バナナ、りんご、ベリー類、レモン、ライムなどを使用している。(柑橘類はすっぱいので酸性と思われがちだが、体内ではアルカリ性に変わる)
  5. 徹底した食事時間の管理・・・

    前述の通り薬の服用時間が決まっており、最大限の効果を期待するため食前食後の服用事案を厳格に管理した。朝食は午前7時、昼食は正午、夕食は午後7時と多忙なCEOのごとくきっかりと管理されたスケジュールで動いていた。また身体を酸性にする食品も徹底的に除外し、精製された砂糖、白い小麦粉、加工肉なども口にしないようにしていた。また無類の肉好きであった父は、同様の理由から赤身肉も食べないようにし、今ではほぼ鶏肉しか食べていない。更に昔はよく飲んでいたガラス瓶のペリエなどの炭酸水も実家から姿を消した。前述のとおりではあるが、コーヒーも体を酸性にする理由から今はもう飲んでいない。

母の苦労

父が厳格に治療を実行して行く中での母の負担は大きなものだろう。何を隠そう父は厳格にスケジューリングしてはいるものの、塩分量を調整したり自分で食事を作ったりはしていないのだ。

定年退職後、ゆったりと外食や旅行を交えた老後生活を想定していた母は突然の1日3食(しかも栄養面を非常に細かく考慮した)生活へ変化し、気をもんでいるとの事である。

日々の買い物を行い、塩を使わない料理を作り、定刻に食事を提供する。われわれ(僕と妹)子どもたちが独り立ちして、夫婦二人になったからと容量の小さい冷蔵庫に買い替えた矢先にこういった食事療法が始まり、大量の食材が冷蔵庫を占拠することとなったため、今では実家の笑い話となっている。


たまに実家へ顔を出すとそういった日々のストレスからか父に対する愚痴を耳にすることもある。僕に言わせてみれば愚痴を言える相手が今も元気に過ごしているだけで感謝の至りである


ただ母をサポートすることも近居する息子責務であるとも思っているので父のがんが寛解するまでしっかりと向き合って行こうと思う次第である。

その後の経過

現時点、本稿を執筆している中での経過を報告しようと思う。

2023年9月時点で分子標的薬が奏功し、肺に点在していた肺がんはほぼ消失し、肺に存在する原発も併せて消失している。全身の骨に転移していたがんもほぼ消えているとの事である。

分子標的薬の効果は人によるものの10ヶ月から数年が平均とされている。長い人ではそれ以上効果が続くこともあるらしい。父の場合はすぐに効果が表れ、分子標的薬でがんの進行を止め自身の治癒力でがんをやっつけているという現状だ。


その中で2023年8月の検査で「甲状腺がんの疑いあり」とされ11月に手術を行ったが、そちらは結果的に腫瘍ではあったもののがんではなかった。

なお、甲状腺がんは非常に進行の遅いがんで手術しなくとも影響はないとさえ言われているがんである。しかしやはりリスクとなり得るものは取り除いておきたいというのが人情であるので手術を嫌がる父を説得し手術へ踏み切ってもらうこととした。


その後、2024年7月時点、精密検査の結果、がんと思われる影はすべて消失し、数値上も既にがん細胞は見受けられないと判断された。

しかし担当医は「がんは無くなることはない」といい完治を認めてくれはしないのだが、事実、検査でがんを確知は出来ないほどに消失している。

前述の食事療法は継続しているものの父は前と変わらず日常生活を送り、孫(僕の娘と息子)たちとも楽しく過ごすことが出来ている。また今年の前半には妹が妊娠していることも判明し、秋にはまた父に孫がひとり増える事となる。


妹の結婚式後すぐに父のがんのステージ4が判明し、僕たち家族はあとどれくらい父と過ごすことが出来るのか、そればかりを考えていた

当の父は、子どもが独り立ちし、定年退職し、これから楽しい夫婦ふたりの時間が始まろうとしていたところ、健康診断を無視したことを発端にがんのステージ4との診断を受け、当時の気持ちは悔やんでも悔やみきれなかったと思う。

失意の底で果てなく暗い気持ちになりそうな状況の中、父は挫けることなく徹底的な食事療法と治療に専念し、がんに打ち勝つことに成功した!

父の健康オタクが昇華し、がんにも打ち勝つことが出来たと信じている。
がんの発覚から約1年と少し経ち、当時の状況と気持ちを忘れないようにするために書き溜めていた内容を記事にした。またその後の経過についても当ブログで報告していきたいと思います。


僕自身、家系的には糖尿病だけ気を付ければいいと思っていたが、どうやらその様ではなくなってきた。僕もいい歳になってきたので食生活など色々と気を付けなくてはいけないと本当に強く感じた。

人間、何はなくとも健康が一番。父はもちろん、周りの人たちには事故なく健康に過ごして欲しいと強く願う。皆さんも健康には充分に気をつけて、しっかりと健康診断を受けてくださいね。

この記事が少しでもがんと戦っている人たちの励みになったり参考になってもらえたら嬉しいです。

   

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  1. […] 2023年4月に僕は父の病状を初めて耳にした。いわゆる肺がんステージ4である。そこからもう直ぐ2年が経とうとし、治療が新たなステージへ向かうとのことなので、自分自身の気持ちの整理と同じ境遇の人たちへ情報共有ができるように記事にした。また2023年に病気が発覚した時の話は、こちらの記事に詳しく書いている。 […]

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